2007年3月12日 (月)

北野神社(柿の木坂)

ここからしばらくは都立大学からパーシモンホール方面に進んだところにある寺社を紹介します。
今回の紹介は北野神社→Google Maps

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↑写真では分かりづらいですが、左(パーシモンホール側)から右(都立大学駅)方面に向かって下り坂になっています。坂の名前は「天神坂」。神社と坂の名前でピンと来た人も居るかもしれませんが、この神社には菅原道真が祭られているそうです(このページの「写真は去年の夏頃に撮影したものです)。

ご神体はいつの時代かは分からないそうですが、神社の修復の際に江戸時代に常円寺の住職が再興された事が分かっているそうです。

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↑鳥居に天満宮の赤い文字が目立っています。敷地はとても狭く、写真の社以外は数本の木が生い茂っているのみ。

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↑鳥居のほぼ下から撮影。手持ちのレンズではこれが限界。。

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↑境内の案内板には昭和初期にこの地に移転されたことが書かれています。耕地整地の碑も置かれているように、元々はこのあたりは田畑があったのでしょうが、すっかり街の様相が様変わりした現代ではそれを思い起こさせるものは見当たりません。

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2007年1月21日 (日)

天祖神社②

「天祖神社」の境内にある2基の庚申塔を紹介します。

これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」⇒「藤の庚申」⇒「なべころ坂」⇒「中目黒八幡①②」⇒「正覚寺」⇒「天祖神社」。

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↑境内の左手にあるお堂にありました。どちらも比較的状態が良いです。

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↑左側の庚申塔。1708年(宝永5年)の銘があるそうです。今でも下の三猿と青面金剛がくっきりと見えます。

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↑右側の庚申塔。1716年(享保元年)のもので、道標を兼ねているそうです。ちょっとみることができませんでしたが、右側に九品仏道やせたがい(世田谷)、ぶどう(目黒不動)などの地名が刻まれているそうです。もともとは神社の入口に置かれて道標の役割を果たしていたんですね。

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↑傍らには案内板が設置されていました。

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2007年1月20日 (土)

天祖神社①

更新が止まっていた「大鳥神社⇒中目黒散策」の残りを紹介します。

これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」⇒「藤の庚申」⇒「なべころ坂」⇒「中目黒八幡①②」⇒「正覚寺」。

最後に紹介するのは「天祖神社」。場所は、前回の「正覚寺」から駒沢とおりを西に坂を登り、目黒区総合庁舎を過ぎた先にあります。

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↑駒沢通りに鳥居が見えたらそこが入口。参道は細く車が何台か止められていました。

天祖神社の創建の年代は不明だそうです。境内には樹齢の古い木々が多く、かなり古い時代に建てられたと推測されています。

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↑現在の社殿は昭和8年に新築されたそうです。住宅地や商業地が立ち並ぶこの地で、ここだけは戦前の姿のまま時が止まっているかのようです。

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↑案内板。例大祭も行われているようです。

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2006年11月26日 (日)

正覚寺②

引き続き「正覚寺」を紹介します。

これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」⇒「藤の庚申」⇒「なべころ坂」⇒「中目黒八幡①②」⇒「正覚寺」。

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↑駒沢通り側の入口から境内を撮影。正面に見える建物は鬼子母神堂です。

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↑駒沢通り側の入口を入ってすぐのところには「三沢初子」の像や供養塔などがあります。三沢初子は仙台藩4代目藩主綱村の母で、綱村の武運を祈っていた寺だったそうです。墓地には三沢初子の墓があり、都の指定文化財になっています。

歌舞伎などで上演される「伊達騒動」に登場する”先代萩の政岡”のモデルと言われ、昭和9年に建てられたこの像も当時の歌舞伎役者をモデルに作られています。

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↑布袋像

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↑境内には「瘡守(かさもり)稲荷天神」という神社がありました。神社の境内に寺(別当寺・神宮寺)はよく見ますが、お寺の中に神社はあまり見たことがありませんでした(ネットで検索すると他の場所でも同じく寺の境内に瘡守稲荷が置かれているところがあるようです)。名前から皮膚病などのできものを除けるという意味だと思いますが、、、

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↑観音さま

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2006年11月19日 (日)

中目黒八幡②

間が開いてしまいましたが、大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。

これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」⇒「藤の庚申」⇒「なべころ坂」⇒「中目黒八幡①」。

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↑この神社は坂道が続く住宅地の一角にあります。境内には石段の参道と境内・泉があり、それほど広くはないですが、年期を重ねた木々が茂り、散策するのに気持ちの良いところです。

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↑本殿左脇にも小さな社がありました。入口の石柱には「三峰西社」と書かれていました。

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↑階段の下に泉が湧き出ていました。(にじみ出ている程度の水量でしたが)

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↑さざれ石。石碑の下に案内板があり、そこには「国家「君が代」に歌われこの大御代が末永く立ち栄えますように祈念して建立いたしました」と書いてありました。

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↑この写真は、別の日(例大祭がある朝)に行ったときのです。 行事は昼からということで、人影が少なく普段と変わらない静かでした。

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2006年10月 8日 (日)

実相寺

大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」。

長泉院(現代彫刻美術館)の前の路地には「実相寺」というお寺がありました。⇒google maps

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案内板等は見当たらなかったのですが、手元の資料から1629年(寛永6年)に日蓮宗の「中道寺」として、現在の港区 魚藍坂(ぎょうらんざか)辺りにあったお寺だそうです。

その後、天台宗に改宗し「鶏定山 実相寺」と改め、明治44年にこの場所に移転して来たそうです(すぐ近くにある「永隆寺」と由来が似ていますね)。

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2006年9月30日 (土)

長泉院(現代彫刻美術館)

大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」。

ここで、少し来た道を戻り、ばくろ(馬喰)坂庚申塔(十七が坂の道と交差している場所)に戻り、北に少し進んだ所にある「長泉院」に行きました。⇒google maps

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↑まず目に付くのは巨大な石のオブジェです。
 長泉院は「現代彫刻美術館」を併設する珍しいお寺です。

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↑六角形の形が組み合わされた施設が美術館です。最初は野外展示のみだったそうですが、昭和57年に美術館が完成したそうです。野外展示と館内は「入場無料」で散歩の途中に気軽に立ち寄れるスポットです。

長泉院は200年以上の歴史を持つお寺で、浄土宗の宗風刷新のため律院として1761年(宝暦11年)に建てられたそうです。そのいきさつから当時は新寺と呼ばれ、寺の前を通る道を「新寺通り」と呼ばれることもあったようです。

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↑近代的な建築とお寺を融合した非常に珍しい建物です。写真右上に鐘が見えるのがわかるでしょうか?

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↑この建物の先にはお墓と目黒川へ下る斜面が広がっています。江戸時代には目黒川の右岸の台地辺りまでのお寺の敷地が広がっていたそうです。

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2006年9月23日 (土)

三等山 永隆寺

大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」。

「ばくろ(馬喰)坂庚申塔」はお墓の一角、道路に面した場所に置かれていますが、このお墓は「三等山 永隆寺」の墓地のようです。永隆寺はお墓の向かいにあります。⇒Google maps

もともとは三田にあったお寺で、開山は 1618年(元和4年)、開基は日達上人による日蓮宗のお寺だったそうです。1698年(元禄11年)に天台宗に改められたそう(資料等は見つけられませんでしたが、不受不施の弾圧が影響していたのかもしれないですね)。

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↑比較的近代的な建物です。

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↑一階入口に案内板がありました。仙石騒動は江戸時代のお家騒動として有名なものらしいです。⇒wikipedia

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2006年9月 3日 (日)

目黒不動(瀧泉寺)⑭

目黒不動(瀧泉寺)の手持ちのネタも切れました
これまでの記事→             

(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

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↑石段の下(女坂の脇)にある地蔵堂。新しい建物に見えます。最近になって立て替えられたのでしょうか?

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↑地蔵堂の脇には「春洞西川先生碑(書家)」と「精霊堂」、「刷毛筆供養塚」などが安置されています。

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↑ひとつ上の写真の右下に写っている謎の木箱?小さな祠にも見えなくもないですがなんだろう?単なる水道管などを隠しているだけかもしれません。

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↑最後に目黒不動の案内板

目黒不動ネタでずるずると回数を重ねてきましたが一旦これにて終了。
また縁日などに参加した時にその模様を紹介します。

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2006年8月31日 (木)

目黒不動(瀧泉寺)⑬

目黒不動(瀧泉寺)の小ネタもあと少し(か?)
これまでの記事→            

(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

石段を登った本堂のある敷地の端に「愛染明王供養塔」を見つけました。

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↑なぜ供養塔が置かれているのかは調べきれていないのですが、目黒不動には、本堂の不動明王本像のほかに、愛染明王・菩薩(文殊・普賢・虚空蔵)像などが安置されているため、そちらに関係があるのかもしれません。

「愛染明王」を wikipedia で調べてみたところ、愛や欲といった人の抱く(いわゆる)本当(煩悩)を否定せず、むしろそれを仏の悟り(と言っていいのかな?)として仏道に導くものだそうです。
(※以前に紹介した近くの蟠竜寺にある律宗の教え(不許辛肉酒入山門)とは全く違いますね)

広場の端にポツンと建っている供養塔。ここ最近の小ネタもそうですが、普段と違った視点で(単なる信仰や観光の対象で)お寺に行くのではなく、当時の世俗などを、思い、偲ぶことができることって、普段と違う(少しだけ)贅沢をさせてもらったような気になります。

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2006年8月30日 (水)

目黒不動(瀧泉寺)⑫

目黒不動(瀧泉寺)の小ネタが続きます。
これまでの記事→           

(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

今回紹介する八大童子は、石段を登った広場先の鐘楼堂の横に置かれています。

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↑敷地の端、山の斜面を利用して八体の石仏が置かれています。

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↑八大童子に関する案内板。不動明王の眷属(守り人?付き人?)としての役割があるようです。案内版に書かれている不動明王と八大童子の位置についても記載があります。
参考 → wikipedia

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↑右から、「慧喜童子」「指徳童子」「鳥倶婆きゃ(ごんべん「言」に「我」)童子」

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↑「矜迦羅童子」「不動明王」「阿耨逹多童子」「制叱迦童子」

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↑「慧光童子」「清淨童子」

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2006年8月29日 (火)

目黒不動(瀧泉寺)⑪

あと少し、目黒不動(瀧泉寺)の小ネタが続きます。
これまでの記事→          

(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

で紹介した「独鈷の滝」ですが、その独鈷の滝の上側には、庚申塔や石仏などの石造物が置かれているようです。

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↑肉眼でも石垣の上に庚申塔や石仏などが置かれているのがわかります。

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↑石垣の上部をアップで撮影したところ。よく見ると斜面に色々な物が置かれているようです。

庚申塔など、それら由来などを調べてみましたが、資料などは見つけることができませんでした。他にも本堂への斜面などに置かれているものがあるかも。

ただ夏場などは斜面に木々が生い茂って見えにくくなるかもしれません。
(写真は6月に撮影)

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2006年8月28日 (月)

目黒不動(瀧泉寺)⑩

28日といえば目黒不動(瀧泉寺)の縁日(といっても自分はまだ行くチャンスを逃しています)。ちょうど写真を整理していたら紹介していない建物等がいくつかありましたので、追加で紹介します。

これまでの記事→         

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の文中にて紹介した鷹居の松の標石です。
 訪問する際にいつも標石をチェックし忘れていました。本堂へ向かう直線の階段を登らず右側の女坂方面に進み、注意してようやく見つけることができました。

下の三枚の写真は境内右手の敷地にある建物です。どれも新しいもので、最近になって建てられた(再建された?)ものだと思います。

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↑阿弥陀堂。手前の松の木がいい感じです。

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↑書院。背景の傾斜の緑も鮮やか。

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↑観音堂。

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2006年8月27日 (日)

大鳥神社③

大鳥神社の1200年祭が近づいてきました。
これまでの記事⇒ 

大鳥神社の HP(http://www.ootorijinja.or.jp/6.1200nen.html)より引用
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

9月3日 午前中 稚児行列
おかげ様で満員になりました。
9月9日 午前中 午前11時より、記念大祭。
午後3時より、国無形文化財里神楽奉納。
9月10日 奉祝行事  午前11時より、地元各町内神輿の社参。
午後3時より、奉納演芸。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

下の写真は、近くの目黒雅叙園の通路に置かれているお神輿。
立て札には「大鳥神社と神輿」と書かれていました。

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↑金色の装飾が輝きます。目黒雅叙園の他の装飾品と同じく来場者の目をひきます。

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2006年8月26日 (土)

清水稲荷神社

目黒通りの東急バス清水営業所の東側、目黒四中の交差点を南に下がると、朱色がまぶしい「清水稲荷神社」があります。
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↑敷地は狭いですが、のぼりと朱色の社殿が存在感をアピールしています。写真左側の路地は羅漢寺川跡のようです(違っていたらごめんなさい)。

明治の頃より東急バス清水営業所のあたりに稲荷があり、そのあたりに湧水があったことから清水稲荷神社と名づけられていたそうです。現在の場所への移動は昭和27年だそうです。京都伏見稲荷より御霊代を拝受したそうです。

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↑社殿は鷹番小学校の奉安殿を移築して利用されたものだそうです。

上記の案内板に「奉安殿」という聞きなれない言葉が出てきましたが、wikipediaの情報から戦前の学校の敷地内に独立して置かれ、祝賀式典の際に中に納められている天皇皇后の写真(御真影)への最敬礼や教育勅語の奉読が行われた建物だったそうです。移設に大変苦労したのも戦後の GHQ の指導によりこれら奉安殿は解体や撤去が進められていたことが影響しているそうです。

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↑正面より撮影

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↑社殿の下に置かれた円形の石造物。何かの標識跡なのでしょうか?

場所はこの地図の中央辺り⇒Google maps

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2006年8月25日 (金)

谷畑弁財天

自由が丘駅から自由が丘デパート方面へ進み、亀屋万年堂本店の先の交差点を右に入ったすぐの路地に「谷畑弁財天」があります。住宅と駐車場に囲まれて窮屈な感じがしますが、水の神の弁天様を祀っている事からか池もあります。
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↑入り口の鳥居。もっと手前からの写真を撮りたかったのですが、狭い路地に軽トラックがデーンと放置(駐車)されて撮ることができませんでした。

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↑入り口から撮影。境内はだいたい写真に写っている範囲です。
 赤い手すりは池に落ちないための囲いです。池を渡る形で社殿へ進むことができます。

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↑弁財天の祠と由来が書かれた案内板。近くの「熊野神社」が地域の人たちに「谷畑の権現さま」と呼ばれて親しまれたのと同じく、この谷畑弁財天も地域の守護神として信仰されていたそうです。

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↑祠の横には「馬霊魂」と刻まれた碑があり、馬の力を助けとしていた当時に馬の魂を敬い犠牲を忘れないために建てられたようです(馬頭観音と同じような目的だったと思います)。

場所はこの地図の中央の路地の奥です⇒Google maps

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2006年8月23日 (水)

厳島神社 ただいま復旧中

以前の碑文谷公園の投稿で少し触れた厳島神社の火災ですが、現在復旧作業が進められています。
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↑社殿の屋根の部分に青いシートがかけられています。建物の形が想像できるぐらいになっています。東横線の窓からもよく見える青いシートが早くはずされる日が来ればいいですね。

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2006年8月20日 (日)

十日森稲荷神社

駒沢通り沿い、祐天寺の守屋図書館近くにある神社です。
(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

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↑駒沢通り側から撮影。石の鳥居がお迎え。

もともとは、このあたりの旧家島崎佐五衛門の邸内にあった屋敷神だそうです。祭神は蒼稲魂命で、豊作を願い雨乞いやお祈りを行う守護神として信仰されていたそうです。

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↑十日森という名前から森があったのかと思いましたが、「きつね」の方言の「とうか」から来ているようです。

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↑拝殿の手前には、お稲荷様が置かれています。片方はお乳を飲む子ぎつねがいます。

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2006年8月16日 (水)

笠間稲荷神社

東急東横線学芸大学駅の東側、鷹番にある「笠間稲荷神社」を紹介します。

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↑駅前に程近い、住宅地に囲まれた一角に赤い鳥居と社殿があります。

茨城県笠間市にある笠間稲荷を大もと(根本社)とし、祭神は宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)とのこと。もともとは中目黒4丁目にあった神社が戦中に2度遷座したのち、この地で社殿が建設されています。

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↑2月の初午祭りはいまでも行われているのでしょうか?

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2006年8月 9日 (水)

熊野神社③

これまで熊野神社の例大祭や庚申塔を紹介してきました。
今回は熊野神社の由来を紹介します。
以前の記事はこちら

この神社の創建年月は不詳とのことですが、1796年(寛政8年)に社殿を改修を行った写しなどがあり鎌倉時代の熊野信仰(熊野権化信仰)に基づく古い神社と伝えられています。

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↑近年整備されたのか、本殿は朱色の鮮やかな色です。

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↑本殿から参道を見た写真。参道は細長い通路となっています。例大祭のときは、この参道と左側の児童公園の辺りまで出店が立ち並びとてもにぎわいますが、普段は繁華街の喧騒も聞こえず参拝客もあまり見かけない静かな神社です。

境内の東京都目黒区教育委員会の案内板を一部引用しますと
『速玉之男尊(はやたまのおのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)の三柱(みはしら)で、「谷畑の権現さま」と親しまれてきた。中世から近世にかけて熊野詣が盛んな頃、この村の人びとが講をつくり熊野参りをして、神社を建てたといわれる。』とあります。

谷畑とは昔のこの辺り(自由が丘・緑が丘)を指し、地域に親しまれた神社であったことがうかがえます。今年の例大祭も近づいてきました。9月2日(土)宵宮・3日(日)が例大祭です。この日は地域の人たちによるお神輿を担ぎ街を練り歩くなどいつもと違う自由が丘が楽しめます。
http://www.kumano-jinja.or.jp/gosai.html

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2006年8月 8日 (火)

立源寺

都立大学と自由が丘のちょうど中間ぐらいの場所に「立源寺」というお寺があります。

長昌山立源寺と称し開山は1624年(寛永元年)、日蓮宗のお寺で碑文谷法華寺(現在の円融寺)の末寺として日運上人によって開基されたそうです。

法華寺が不受不施の教えを強く信仰し幕府に弾圧されて天台宗に改宗されたたのを受け、立源寺は身延山久遠寺の末寺となり今に至ります。

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↑正面の山門。塀に囲まれたお寺です。

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↑本堂の中には、法華寺から移された「三宝尊像」や「文殊菩薩・普賢菩薩」像が置かれているそうです。

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↑写真を撮ったのは今年3月頃。梅の花が見ごろでした。

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2006年8月 6日 (日)

熊野神社② ~庚申塔~

過去に熊野神社のお祭りの様子を紹介しましたが、入口の鳥居の左側、境内との境に小さなお堂があり、そこに庚申塔が置かれています。普段はなかなか気づかないのですが、神社へお参りの際にはこちらも一目。

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↑熊野神社の境内や背景の木に隠れるように置かれているため、気がつかないまま横を通りすぎる人も多いかと思います。

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↑風化が進んでいますが、かろうじて「青面金剛」が見てとれます(近くで見るとかろうじて青面金剛の特徴である六つの手が分かります)。

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↑熊野神社の境内へ脇から入る路地には車止めの石柱があります。「車馬止」と書かれ、車や馬(?)がこの先の境内へ入らないようにしていたのだと思います。

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2006年7月29日 (土)

豊川稲荷大明神 

自由が丘の豊川稲荷大明神をご紹介します。場所は自由が丘駅前ロータリーの、お茶屋さんの細い路地を入ると鳥居が見えてきます。そのすぐ脇にあります。

この大明神は昭和9年、街の振興を目的として、有志の方々が赤坂にある豊川稲荷から分霊し、この地に祭ったものだと言われています。

昭和30年代までは、この辺りや駅前にも露店が並び、縁日が行われていたそうです。今では、交通量も増えたため、そのような光景は見られなくなりましたが、在りし日の面影を今も伝える豊川稲荷大明神は、今もひっそりと建っています。

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2006年7月19日 (水)

目黒不動尊 パスネット

目黒線不動前駅にて購入したパスネットをご紹介します。目黒駅と目黒線不動前駅の2箇所で販売しているようです。(売り切れの際はご了承ください・・・)

目黒不動尊 仁王門の写真が使われています。朱塗りの門なので色が映えますね。以前は、不動前駅「ご来駅記念パスネット」として、台紙付きで売っていたようなのですが、今回購入した時は、台紙は付いていなくてむき出しのものでした。販売額は1000円です。

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2006年7月12日 (水)

散策~寺社編:大円寺⑤~

行人坂の坂の途中にある「大円寺」。
それ程広くない敷地には五百羅漢を始めとする多くの石造物や、坂の下にあった「明王院」の名残を残す品々が置かれ、まるで小さな美術館のようです。今回で大円寺の紹介も最終回です。

これまでの記事→    

最終回は、大円寺の敷地からちょっと離れますが、行人坂にある「明王院(西雲)」ゆかりのものを紹介します。

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↑大円寺の敷地の端、目黒駅から行人坂を下ったら真っ先に見えるのはこの小さなお堂です。
 このお堂は「勢至堂」で、お堂の中には「勢至菩薩」の石像が置かれています。

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↑「勢至菩薩」像。蓮座の上に座っています。蓮座の下の石柱には、西雲によって雁歯橋が架けられた事が刻まれているそうです。文字はかすれてかろうじて何文字か読める程度です。

雁歯橋は、行人坂の坂を下りた目黒川に架かる橋で、後に太鼓橋と呼ばれる鼓(アーチ)の形をした石造の橋を指しているとも伝えられていますが、諸説あるようです。

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↑案内板

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↑お堂の右脇に置かれた石造物。木板に書かれた文字は大分消えかけていましたが、
 かろうじて「行人坂 坂守り天人」と読むことができます。

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↑所は変わって、坂の下にある「お七の井戸」。
 「目黒雅叙園」の入口近くにあり、結構目立ちます。脇の案内板を読むと、「この井戸は昔の明王院に「西運」が念仏行に出かける前に、お七の菩提を念じながら水垢離(身を清めること。みずごり)を取った」ことからお七の井戸と伝えられているそうです。

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2006年7月10日 (月)

散策~寺社編:高木神社②~

「庚申塔」ネタが続きますが、今度は 3月に紹介した「高木神社」の庚申塔を紹介します。

境内を入ったすぐ横に野ざらしの状態でポツリと一つの石柱が置かれていました。

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↑「青面金剛」や「三猿」などは刻まれておらず、「庚申講中(庚申を信仰する人たち)」と書かれているのみですが、それ以外に道標(道しるべ)を兼ねていたようで、写真には「目黒・二王尊道」と書かれているのが分かります。

目黒区のホームページの「庚申塔を探そう」でも紹介されています。元々は別の場所にあったようです。

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2006年7月 9日 (日)

散策~寺社編:桜森稲荷②~

5月に「桜森稲荷・帝釈堂(・呑川緑道)①」で紹介した「桜森稲荷」に置かれている
「庚申塔」をご紹介。

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↑入口の鳥居の脇に2基置かれています(結構目立つ場所にあるのですが、前回、写真を取り忘れてしまったので、最近になってもう一度行ってきました)。

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↑保存状態は比較的良く、「青面金剛」と「邪鬼」・「三猿(左側のは輪郭がうっすら輪郭が残る程度ですが)」が書かれています。

※ 目黒区内には70基近くの庚申塔があります。
  それらの一部は目黒区のホームページでも紹介されています。

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2006年7月 7日 (金)

散策~寺社編:大円寺④~

引き続き、大円寺を紹介します。
これまでの記事→   

大円寺には多くの国や都・区の指定文化財があります。

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このうち、国の重要文化財に指定されている「釈迦如来像」は、本堂の左脇にある釈迦堂にて大事に保管され、限られた日にのみ開帳されているそうです。

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↑釈迦堂。国の重要文化財として大切に管理されています。

本堂、阿弥陀堂も間近から見ることは勿論できませんが、先に紹介した石像の五百羅漢や西運ゆかりの物を見ることができます。境内にある石造物などでこれまで紹介していないものを掲載します。

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↑本堂右脇にある「薬師如来」。体の悪いところに金箔を貼るそうです。

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↑七福神の石像。大円寺は山手七福神として本堂に「大黒天」が安置されており、その代わりとして(?)大黒天やその他六福神の石像を置いたのでしょうか。

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↑境内右奥に置かれていたのは「六地蔵」。由来は不明です。

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↑境内入口の右脇に置かれた二対のお地蔵さま。案内には「みがわり地蔵尊」といい、災いや難儀なものを右左・左右といれかえて頂けるそうです。

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↑同じく入口すぐ右脇に「庚申塔」が3基置かれていました。ここの庚申塔には「三猿」だけが書かれています。

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2006年6月29日 (木)

散策~寺社編:大円寺③~

引き続き、大円寺を紹介します。
これまでの記事→  

「大円寺」は行人坂の坂の途中にありますが、坂の下(目黒雅叙園辺り)にも別のお寺があったことはあまり知られていません。
寺の名は「明王院」といい、浄土宗のお寺です。開山・創建はわからなかったのですが、初期「江戸名所図会」の「夕日岡行人坂」という挿絵に、行人坂、大円寺(行人坂火事が起こった後に描かれたため、敷地に五百羅漢があるだけです)とともに、在りし日の「明王院」も描かれています。

「明王院」には後に紹介する「西運」というお坊さんが居た寺と伝えられ、「西運」によって行人坂に敷石を敷かれたり、目黒川に「太鼓橋」という橋を架けられたそうです。1880年(明治13年)ごろに廃寺となってしまい、お寺にあった「本尊」や「西運」の位牌(いはい)、「お七地蔵」、「供養塔」などは大円寺に移設され、今でも本堂の右脇に安置されています。

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↑本堂の右側にある「阿弥陀堂」。安置されている阿弥陀三尊は、もとは「明王院」の本尊だったそうです。中には西運上人の木像もあるそうです。

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↑「お七地蔵」と「西運」の姿が描かれた石碑。
 新しいお地蔵さんですが、本来の「お七地蔵」と伝えられている地蔵菩薩像は、阿弥陀堂に安置されています。

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↑写真が小さくてうっすらとしか見えませんが、「西運」の行(?)の姿が描かれています。

となりあう「お七地蔵」と「西運」の石碑。二人は、後に「八百屋お七」として芝居や文学で悲恋として語られている当事者だと伝えれています。

江戸時代には、「行人坂の火事(1772年)」などの「江戸三大大火」を始めに、多くの火災が発生しました。火災のたびに多くの家屋の焼失や犠牲者がでたそうです。本郷の八百屋の娘の「お七」も、1682年(天和2年)に「天和の大火」と呼ばれる火事によって家を焼かれてしまいます。駒込のお寺(と言われていますがどこのお寺かは諸説あり)にしばらく身を寄せる事になったのですが、そこで出会った寺小姓の「吉三郎」に恋してしまったそうです。

家の再建のために寺を離れることになった後も、吉三郎の事が忘れられず、恋に焦がれたお七はもう一度火事が起きれば再び会えるかもしれないとの思いから、再建した自宅を放火してしまいます。

恋する16歳のお七の想いは、やがては消すことができない程の大きな炎へとなってしまったのでしょうか。
この時代、火付け(放火)は最も重い大罪でした。奉行も慈悲の心はあったらしくで、成人(16歳)ではなく15歳の少女として、なんとか極刑を免れるように働きかけてそうですが、お七は16歳と正直に答えたそうです。

すべてが終わり、抜け殻となってしまったのか。その後、お七は江戸市中引き廻しの上、鈴が森で「火あぶりの刑」となったそうです。

この実話をもとに井原西鶴が「好色五人女」に登場させて以降この事件は一躍有名となり、色々な作者が取り上げたことにより、浄瑠璃や歌舞伎としても様々な形で上演されるようになりました。ちなみに、現在、八百屋お七のお墓は天台宗 南縁山 圓乗寺(東京都文京区白山1-34-9)にあるそうです。

お七の死後「吉三郎」は僧になり、全国を行脚した後、名を「西運」改めて明王院に身をよせます。お七の菩提をとむらうため、目黒不動と浅草の観音堂(往復で40km程あるそうです)を一日おきに往復したそうです。手に持った鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えながら一万日の行を54年かけて成し遂げました。長きに渡って行った行により、江戸市民より多くの浄財を受け、その浄財を元に「明王院」に「念仏堂」を建てることや、行人坂の整備、橋を架けるなど、地域への貢献を多くおこなったそうです。

「西運」にとって「お七」がどのような存在だったのかは定かではありません。一説には、お七が恋したのは別の人物(佐兵衛と呼び、後に江戸六地蔵を造る働きかけをした人)であり、「吉三郎」はお七に放火をそそのかした人という説もあるようです。
諸説はどうあれ、「西運」によって「お七」の供養が行われた事、お七が西運の夢枕に表れて成仏した事を報告した事、それを受けて「お七地蔵」を造ったことは、単なる悲劇として誇張したり片付ける必要がない事を今の私たちに伝えているのかもしれません。

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↑「行人坂敷石造道供養塔」。施主として「西運」の名前と1703年(元禄16年)紀念と刻まれているそうです(横の案内板より、石碑の文字は大分薄れており、一見してそれとわかりませんでした)。

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↑「太鼓橋」に使用された石材。

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2006年6月27日 (火)

散策~寺社編:大円寺②~

引き続き、大円寺を紹介します。
これまでの記事→ 

大円寺の境内はそれほど広くないですが、昨日紹介した石仏群(五百羅漢石像)を始め、数多くの石造物が置かれています。


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↑斜面に置かれた「五百羅漢石像」の手前には、同じく慰霊を目的に作られたという「釈迦三尊(中央の釈迦像と脇を固める普賢菩薩・文殊菩薩)」とその弟子たちの「十六大弟子」が置かれています。

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↑傍らに置かれた「とろけ地蔵尊」。名前の通り、見た目かなりとろけています。
 江戸時代に漁師が東京湾から引き上げたとか。水害などで海に流され、長い年月で侵食して今の姿になったのでしょうか?

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↑かわいい道祖神(村の入口などに置かれる守り神)も置かれていました。

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↑観世音菩薩

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2006年6月26日 (月)

散策~寺社編:大円寺①~

目黒区にある山の手七福神の「目黒不動(恵比寿)」・「蟠竜寺(弁財天)」に続き、「大円寺(大黒天)」を紹介します。

「大円寺(大黒天)」は、JR・東京メトロ・都営地下鉄・東急目黒線の「目黒駅」から「目黒雅叙園」・「目黒不動」方面に向かう『行人坂』と呼ばれるせまい急な下り坂をおりる途中にあります。
『行人坂』は「大円寺」の開山の際に切り開かれた坂道で、江戸市内から西へ抜ける道として通行人が多く、後に傍を並行する「権之助坂」が開通した後は「目黒不動」や「大鳥神社」への参拝の道として使われていたそうです。

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↑大円寺入口から目黒駅方面の登りを撮影。結構急な坂が続いているのが分かると思います。

この寺は「松林山大円寺」といい天台宗のお寺です。17世紀初期の寛永の初めに、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って祈りの道場を開いたのが始まりと伝えられています。本堂には、木造釈迦如立像・十一面観音立像が安置され、国や区が定める重要文化財にも指定されています。

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↑入口より本堂への写真。

ただ、このお寺の一番の特徴は由来や本堂ではなく、山の傾斜にびっしりと敷き詰められている「大円寺石仏群(五百羅漢石像)」です。

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↑夕暮れ迫る時間にこの石仏群を見たとき、ちょっと(かなり)怖いと思いました。

石仏群(五百羅漢石像)は、1772年(明和9年)に発生した「江戸三大火」の一つと呼ばれた「行人坂火事」の犠牲者の供養のために作られたと伝えられています。
火元は大円寺と見られ、目黒のこの場所から遠く浅草・千住まで火の手が伸び、江戸を縦断する形でおよそ三分の一が焼失し、14700人が亡くなられたそうです。

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↑よく見ると、個々の石仏の仕ぐさや表情が異なります。

火災の原因は放火で、大円寺に火付け強盗を行った事が大惨事を招いた悲しい事件です。大円寺は再建が許されず、願いが聞き入れられようやく再建されたのは火災から76年たった1848年でした。

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2006年6月25日 (日)

散策~寺社編:蟠竜寺②~

引き続き、蟠竜寺を紹介します。
これまでの記事→ 

山の手七福神で「蟠竜寺」は弁財天が安置されています。

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↑弁天堂。本堂の右にある小さなお堂です。中には「木像」の弁財天が安置されているそうです。

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↑本堂右脇には傾斜をくりぬいた岩窟があります。中には石像の弁財天が安置されています。「江戸名所図会」でもこの岩窟がお寺とともに描かれているそうです。

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↑「弁天堂」の裏はお墓になっているのですが、その入口にお地蔵様が置かれています。このお地蔵様は「おしろい地蔵」と呼ばれ、お顔におしろいを塗り、残りを自分の顔に塗ると美人になるとか。

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2006年6月24日 (土)

散策~寺社編:蟠竜寺①~

山の手七福神は下目黒~港区白金台にかけての範囲にあり、目黒区には先日紹介した「目黒不動(恵比寿)」の他に「蟠竜寺(弁財天)」と「大円寺(大黒天)」があります。

今回紹介する「蟠竜寺(ばんりゅうじ)」は、「大鳥神社」・「大聖院」から少し南に下がった場所にあります。目黒不動からだと石段を上がった本堂の裏山を青木昆陽(甘藷先生)の墓に向かって進み、階段を降りて山手通りにぶつかったすぐ左です。

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↑山手通りからの入口にある看板が目印です。

お寺の由来は、江戸時代、1648年から52年の慶安に行人坂の下に開創された称明院が始まりで、1710年(宝永7年)に増上寺の霊雲上人が現在の場所に打ちしたそうです。
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↑境内の入口にある「不許辛肉酒入山門」と書かれた石柱。
 これは霊雲上人によって律宗に改宗されて求道心が重んじられ、煩悩や欲望をご法度とされていたため、酒や性欲を刺激する食べ物は禁止された事からきています。

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↑本堂へは山手通りから入った道を真っ直ぐ行くとたどり着きます。
 手前の植え込みなどは手入れが行き届いており、キチっとしている印象です。

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↑本堂。本尊として「木造り阿弥陀如来坐像」「善光寺式阿弥陀三尊像」が安置されているそうです。

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2006年6月23日 (金)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)⑨~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→        

仁王門側の入口脇の道路を挟んだ反対側には小さな池があり、そこには「恵比寿神」が祀られています。この恵比寿神は下目黒~港区白金台のお寺に置かれた「山の手七福神」と呼ばれる七福神の一つです。

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↑「山の手七福神」の由来はわかりませんでしたが、江戸時代で七福神参りが庶民の間で流行った頃からあるようです。

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↑池のようす。

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↑すぐ横には「豊川稲荷」と書かれた小さな祠があります。赤坂の豊川稲荷別院と係わりがあるのでしょうか??

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2006年6月20日 (火)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)⑧~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→       

石段を登った所には本堂(大本堂)があります。
1981年(昭和56年)に再建された新しい建物ですが、歴史の重厚を損なわず、かつ、鉄筋コンクリートを使うなどの今どきの建築工法を取り入れた建物です。

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↑本尊の不動明王像は、戦火や火災を免れた長い歴史を持ちます。

また、本堂の後ろ側には「大日如来」の坐像があります。蓮華座の上に座られたこの像は、江戸時代の1683年(天和3年)に鋳造されたもので区の文化財にも指定されています。
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↑大きなお顔にやさしい表情が印象的です。

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↑鐘楼堂です。石段の上のさらに高い位置に建物自体が持ち上げられているかのようにそびえ立っています。本堂の高さにあわせてこの姿になったのでしょうか?

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↑延命地蔵尊

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↑石不動

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2006年6月19日 (月)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)⑦~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→      

本堂へと登る石段の道。直線で勾配の急な石段の「男坂」と、曲線で勾配が緩い分歩く距離の長い「女坂」があります。

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↑「男坂」

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↑「女坂」

男坂の石段の右脇に、鶏とヒヨコの石造物が置かれていますが、(石造物は関係なく)そのすぐ後ろに比較的若い松の木が植えられています。この場所には昔「鷹居の松」と呼ばれる松の木があったそうです。
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言い伝えでは、徳川三代将軍家光が付近で鷹狩りをしていたところ、途中で鷹が行方不明になってしまい、不動堂別当の僧に祈らせたところ、すぐにこの場所にあった松に戻ってきたそうです。家光は大変喜び、その後の目黒不動の修復や発展につながっていく一因にもなったようです。
当時の松はありませんが、この石造物の右脇に標石(鷹居松と彫られた石柱)が置かれています。

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↑女坂の登り口には「摩伽羅水」と書かれた湧き水(後ろに細いパイプが見えますが。。。?)があります。残念ながらこちらも飲料は不適です。

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↑女坂の途中に斜面をくり抜くように小さな祠があり、銅製の役行者(神変大菩薩)が安置されています。江戸時代の作らしいですが、下駄や着物も凝っていて、細身の端整な面持ちで、錫杖を持つその姿はとてもカッコよいです。

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↑役行者様のすぐ近くには、大きな剣と炎をあしらえた像がありました。詳細は分かりませんでした。

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↑女坂を登りきるすぐ手前に置かれているのは「力石」。お祭りなどのイベントで力比べをしていたのでしょう。

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2006年6月17日 (土)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)⑥~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→     

昨日紹介した「前不動堂」と同じく、戦火を免れた建物に「勢至堂」があります。
場所は独鈷の滝・前不動堂よりも左側に少し離れた位置にあります。

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お堂の名前の通り「勢至菩薩」が安置されているお堂です。こちらも江戸時代の建物で、その頃の目黒不動の面影を伝える貴重なものとか。

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↑案内板にも説明がありますが、1969年(昭和44年)に前不動堂の近くから移築されたそうです。

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2006年6月16日 (金)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)⑤~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→    

目黒不動の広い敷地にあったお堂や建物の多くは残念ながら戦災で焼失してしまいましたが、幸いにも「前不動堂」や「勢至堂」は戦火を免れ、江戸時代の建築物として現在も大切に管理されています。

「前不動堂」は、独鈷の滝の左側にある小さなお堂で、木造の「不動明王」が安置されているそうです。江戸時代、将軍や幕府によって保護されていた事もあり、彼らの参拝があった際には本堂が使用されてしまうため、庶民信仰の妨げとならないように、庶民の参拝用として建てられたそうです。
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↑江戸中期の仏堂建築としての状態も比較的良く、都の文化財にも指定されています。

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↑前不動堂の前に置かれていた狛犬(山犬)。反対側にも居ます。
この場所に置かれていることから年代の古い作なのでしょうか。修繕された跡も見られますが、仁王門や独鈷の滝の石垣の上にあるのと同様にやさしそうなお顔をしています。

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2006年6月15日 (木)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)④~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→   

仁王門の奥にある本堂への石段の脇には、懇々と水が湧き出ています。台地から湧き出す水は「独鈷の滝」と呼ばれ、二ヶ所の
龍の口から流れ出てきています。昔に比べると水量が減って龍の口からわずかに流れる程度ですが、昔から日照りの時でも水は枯れないとか。
この湧き水には由来があり、開山者の慈覚大師が長安のお寺に滝があったのを思い出し、同様に目黒不動でも水が湧き出ることを期待して神器の独鈷を投げたところ、その場所にたちまち水が沸いたそうです。

東京都が定める「東京の名湧水57選」にも選出されている湧き水となります。

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↑龍からそれら人工の滝を男滝と女滝と呼ぶらしいのですが、どっちがどっちかは
分かりませんでした。

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↑「独鈷の滝」案内板

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↑「水かけ不動明王」
お不動さんとの諸願成就の縁を結び大願が成就するよう身代わりとなって水を浴びてくれます。平成になってから作られたものらしいです。

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↑石垣の上部には良く見ると小さな祠(?)らしきものや、狛犬(山犬)、庚申塔が置かれているようです。残念ですが石垣の上には近づくことができないので詳細はわかりません。

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↑養老孝子像。いつこの場所に置かれたかは不明。

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↑池の横、石段の脇に設置された二つの石造物。「奉納御寶前」と刻まれた石柱の上に飾られているのは不動明王?それとも閻魔様??

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↑石垣の上に置かれている狛犬(山犬)。こちらも表情は愛くるしいです。池を挟んだ反対側にも同様に置かれています。

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↑独鈷の滝の近くに置かれていた「手洗場」?「水のみ場」?
 湧き水の水を汲んでいるようですが、「飲料不適合」の注意書きがありました。

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2006年6月14日 (水)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)③~

引き続き、目黒不動(瀧泉寺)を紹介します。
これまでの記事→  

東急目黒線の「不動前駅」から目黒不動に向かうと、最初に目に付くのが朱色の仁王門です。本堂は仁王門の奥に見える石段を登った上にあります。

目黒不動は江戸時代に火災により多くの建物が焼失したものの、徳川家三代将軍家光を始め幕府の保護によって改修が行われました。その後、参拝客が増え、目黒不動の門前は、大いに栄えたとか。

江戸後期に発行された、江戸名所図会(えどめいしょずえ)にも目黒不動尊が紹介され、その絵のほぼ中央に仁王門が描かれています。Cimg16120001
↑残念ながら、仁王門や本堂などは戦争により焼失し、戦後に再建されたものです。

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↑仁王門に安置されている像。仁王尊像。

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↑仁王門の手前には、狛犬(山犬)があります。
 耳がたれていてかわいい顔をしています。

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↑仁王門をくぐった脇にはぽつんと像が置かれていました。
 説明が書かれていたのですが、ちょっと読むことが出来ませんでした。

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2006年6月12日 (月)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)②~

5月に紹介したときは掛け足で通りすぎただけなので、何回か回数を分けて紹介をしたいと思います。

目黒不動(瀧泉寺)は、先日の成就院①と同じく慈覚大師による開山で808年(大同3年)に開創された天台宗のお寺です。山号は「泰叡山」で860年に清和天皇より「泰叡」と書かれた額を受取ったことから名づけられたとか。

本尊の不動明王からとった目黒不動という名前の方がなじみが深いのですが、寺号は「瀧泉寺」で、お堂の棟札に慈覚大師自らが「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と書いたことから名づけられています。

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↑本堂がある高台の上から石段を見下ろしたところ。結構急な石段になっています。

続きはまた後日。

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2006年6月10日 (土)

散策~寺社編:成就院②~

昨日の投稿に引き続き、成就院を紹介します。

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↑境内入口付近より。左側が本堂。

本堂の横には、たこの絵が描かれた看板と七体の石像があります。中央の一段高く設置されている像は「阿弥陀如来」、その右側の三体は観音様で、左側の三体はお地蔵様です。これら石像はすべて「お静」という女性から贈られたものだそうです。

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正面にある案内碑に詳しい記述があり、「お静」は徳川二代目将軍「徳川秀忠」の側室で、江戸城大奥にあがる際、将軍の子を授かる事を願いこの寺に三体の観音像を納めたそうです。
その願いがかない子を授かったお静は、疫病や謀略からその子が守られ無事に育つことを願い三体の地蔵を納めたそうです。その子は後に「保科正之」と名乗り、信州高遠城主となりました。大願叶ったお静は、そのお礼として阿弥陀如来像を奉納したそうです。
その後「保科正之」は会津藩23万石の城主となり、将軍の御見人として幕政にも力を注いだとか。その事からこれら石像は、縁結びや子宝・出世・開運などを願う人々の信仰を集めているそうです。

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↑境内入口の脇に設置されている「庚申塔」。屋根付きです。青面金剛で、日・月・鬼・三猿が彫られています。

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↑不動前の料亭に飾られていた橋和屋地蔵(だと思います。。)

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↑印塔(?)

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2006年6月 9日 (金)

散策~寺社編:成就院①~

たこで~す。

いや、、、蛸薬師(たこやくし)です。
場所は、昨日紹介した五百羅漢寺の道を道なりに(羅漢寺脇の目黒不動近道には入らないで)進んだ突き当りの成就院です。
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成就院は、858年(天安2年)に慈覚大師によって開山された天台宗のお寺です。境内はそれほど広くないですが、蛸薬師とお静地蔵と呼ばれる江戸時代のお地蔵さん、そして、庚申塔があります。

ご本尊を見ることはできませんでしたが、薬師如来が三匹のタコに乗っているそうです。
これは、慈覚大師が船上で嵐に見舞われたとき、嵐を鎮めるために大事にしていた薬師像を海神にささげて難をのがれ、その後の巡礼の地でその薬師像が蛸にのって浮かんでいるのを見つけたことが元になっているとか。

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↑境内の案内板。蛸を多幸とも解釈するようです。良い語呂合わせですね。

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↑本堂の横には、お地蔵さんと共に、蛸の絵が飾られていました。絵では福を吸い寄せていますが、他にも悪いところを吸い取ってくれるという疫病除の意味もあるそうです。

また、境内の中では、御撫石(おなで石)というものを 1,500円納めることで受取ることができ、患部をその石でなでるとイボが取れるという言い伝えがあります。イボが取れたら石は戻すことになっているらしいです。

境内のお地蔵さんや庚申塔などは、また後日。

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2006年6月 8日 (木)

散策~寺社編:五百羅漢寺~

「目黒のらかんさん」とも呼ばれている「五百羅漢寺」は、先日紹介した「海福寺」のすぐ横にある葵のご紋が目印。

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↑建物の前には"不退法尊者" の像が設置されています。

もともとは、「本所(現在の江東区大島あたり)のらかんさん」として羅漢信仰ともに江戸市民から親しまれていた黄檗宗のお寺で、1695年(元禄8年)に鉄眼禅師によって開山され、松雲元慶禅師が約10年かけて自ら釈迦三尊像や羅漢像を536体彫刻したそうです。お寺がこの地に移されたのは1908年(明治41年)。

木彫りの羅漢像は珍しいそうですが、天災や神仏分離による衰退などで今は305体が残されており、都の重要文化財にも指定されて大切に扱われているようです。

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↑境内への入口。脇には食堂もあります。境内の撮影が禁止されているため、中の写真はありません。

由来などは、境内入口横に説明書きがありました↓Cimg16020001

参考までに五百羅漢寺のホームページを紹介しておきます

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2006年6月 6日 (火)

散策~寺社編:海福寺~

昨日までに紹介した大鳥神社・大聖院から山手通り(環状六号線)を下ると、最初の「羅漢寺」の交差点にたどりつきます。名前の通り、交差点から右斜めの道を進むと「羅漢寺」にたどり着くのですが、その手前にもう一つ「海福寺」という寺があります。

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↑通りから路地のようになっていて、奥の階段を上ったところにあります。

「海福寺」は、元は深川で1658年(万治元年)に隠元禅師(いんげん豆を日本に持ち込んだ人)によって開山された黄檗宗のお寺です。1910年(明治43年)にこの地に移転してきたそうです。

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↑階段を登ったところの赤い門は「四脚門(よつあしもん)」といい、こちらは明治後期に新宿上落合の泰雲寺から移設されたものらしいです。説明に書かれているように親柱2本とその前後に4本の控柱からこの名前が付いたそうです(2本+4本で6脚じゃないかと思いが沸き立ってしまってもそっと胸にしまいましょう)。目黒区の指定有形文化財です。

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↑今の本堂も元は日比谷にあった中山大納言の屋敷を移してきたものだそうです。本尊は釈迦牟尼仏で、脇仏に四天王像や隠元禅師の像が安置されているそうです。

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↑梵鐘も都の指定文化財に指定された貴重なものらしく、黄檗宗に係わる書で紹介される鐘に似ながら、日本の古い鐘の形式も取り入れた、あまり例の無い珍しい鐘だそうです(写真では見難いですが、鐘の下の部分が波うつような形です)。お寺の移転と共にこの地に移設されてきました。

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↑四脚門のかたわらに、供養等が設置されていました。案内板では、1807年(天和3年)の深川八幡宮の祭りで起こった「永代橋落橋事故」で溺死した多数の方々の供養塔と石碑だそうです。当時の事故を後世に伝える大事な資料として都の指定文化財になっています。

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2006年6月 5日 (月)

散策~寺社編:大聖院~

昨日一昨日と紹介した大鳥神社のすぐ脇に「大聖院」という天台宗のお寺があります。大鳥神社と敷地を共有するかのように建っているこのお寺は、元々は大鳥神社の別当院(神社の境内に寺院を置く神仏習合の流れ)によるものです。

創建は1557年(弘治3年)で、貞順僧正の開基(第一人者や浄財を寄付する人)と伝えられており、近くにある目黒不動(瀧泉寺)の子院に当たるそうです。また、本殿には阿弥陀三尊像、十一面観音像、不動明王像などが安置されているそうです。

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また、このお寺の境内には3つの灯篭が設置されています。中央は背が高く左側には謎の模様のようなものが書かれています。
元は三田にあった旧島原藩主松平主殿頭の抱え屋敷跡にあったもので大正15年にこの地に移されてきたものですが、十字架を変形させたようなTの形をした灯篭や、灯篭下の人物をかたどった模様から織部式灯篭(切支丹灯篭)と言われています。
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↑キリスト教の弾圧があった江戸時代の中で、切支丹が潜伏していた事を示す遺跡ではとも言われています。一説には灯篭の下の部分を地中に埋めて人物をかたどる部分を隠していたとも言われています。

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↑灯篭のそばにあった目黒区教育委員会の案内板です。

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2006年6月 4日 (日)

散策~寺社編:大鳥神社②~

昨日に引き続き、大鳥神社を紹介。

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↑目黒区教育委員会が設置した案内板です。区内最古の神社と伝えられているそうですね。あと、大鳥神社のホームページも見つけました。今年は創建1200年の記念の年として、9月の例大祭で、記念行事が行われるようです。

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↑境内に置かれた楕円形の石の表面に鳥石と刻まれています。この石は力石といい祭りなどで男たちが力自慢をする際に用いた石です。その隣には庚申塔がありますが、延宝と刻まれている三猿のみ(と梵字)が刻まされているので、案内板に書かれている延宝塔の事だと思います。

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↑その隣にも庚申塔があります。小さな石の柱には「奉殿 石燈篭」と書かれていましたが、何かは分かりませんでした。

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↑切支丹灯篭

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↑灯篭の横にあった庚申塔

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↑くし塚

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2006年6月 3日 (土)

散策~寺社編:大鳥神社①~

今週は天気が良い日が続いたのですが、この週末にかけては天気はまた下り坂。今にも振り出しそうな陽気の中、足早に用事を済ませました。その帰り道に少しの時間ですが下目黒辺りをお散歩してきました。

下目黒辺りもお寺や神社が多いので、今日撮影した写真とこれまで取りだめした写真から(寺社ばかり目立ちますが)紹介していきたいと思います。

目黒駅から目黒通りを西に進みます。目黒通りは権之助坂を下り、目黒川を渡った先で山手通りと交差しています。この交差点は「大鳥神社前」と呼ばれ、その名の通り交差点の南西側に大鳥神社があります。

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大鳥神社はヤマトタケル(日本武尊:日本神話の英雄)を祀る神社で、旧目黒村の総鎮守です。

創建は806年(大同元年)で、ヤマトタケルの他に妃である「弟橘媛」の他に「国常立命」も共に合祀されています。元々この地には「国常立命」神を祀る社があったそうですが、ヤマトタケルの東方征伐の際にこの地を通りかかり、任務の遂行に関する祈願と部下の目の病の回復を祈り、願いが聞き入られたことから自分が持っていた十握剣(とつかのつるぎ)を神社に奉納したそうです。
また、ヤマトタケルが死去した時、その霊が白鳥としてあわられたことから鳥明神として祀っていることや、火攻めにあり草薙剣によって難を逃れたことから各地の大鳥神社と同様に11月の酉の市(とりのいち)が開かれています。

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↑境内の脇には目黒稲荷という小さな社がありました。

尚、境内には都の天然記念物として「オオアカガシ」の老木があったそうですが、残念ながら枯れてしまったようで、現在は石碑と切り株を残すだけでした。
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境内には他に庚申塔や灯篭などがありますが、記事が長くなってしまったので後日紹介します。

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2006年6月 1日 (木)

散策~寺社編:正泉寺~

正泉寺は碑文谷の円融寺のすぐ東にある浄土宗のお寺です。小さなお寺でお堂が一つとお墓があります。

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このお寺は、元々は1572年に総州(千葉)で「泉蔵院」という名前で建てられ、1911年(明治44年)に港区の三田4丁目から碑文谷に移されてきました。本堂には「阿弥陀三尊像」と「十天像」があるそうです。

お墓には江戸時代の戯作者(小説家で庶民の暮らしや文化・風俗を取り入れた「浮世風呂」などが有名)である式亭三馬のお墓があり、都の旧跡に指定されているそうです。関係者ではないのでお墓へ行くのは止めましたが、式亭三馬のお墓の台座には朱色で「馬(ひらがなの「る」のような崩し字)」が刻まれているそうです。

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2006年5月30日 (火)

散策~寺社編:桜森稲荷・帝釈堂(・呑川緑道)②~

昨日に続き、「都立大学駅」から「緑が丘」まで「呑川緑道」のお散歩をご紹介します。

鉄飛坂の上には、それほど大きくないお堂がありました。これが帝釈堂です。
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境内を見回してみましたが、このお堂に関する由来などは書かれていませんでした。
(帝釈天は日蓮にゆかりがあるのでお寺かな?と思ったのですが、帝釈天の信仰の庚申と紐づく”史跡”としての地域で管理されたお堂のようです。)

お堂の脇の境内には、庚申塔(庚申を信仰する仲間が建てたもの)と石の道標(道しるべ)が残されています。また、堂内にも江戸時代から明治時代にかけて作られた庚申塔が3基と、題目塔(南無妙法蓮華経が書かれた石塔)1基が保管されているそうですが、残念ながら公開はされていませんでした。

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↑堂内にある庚申塔に関する案内板です。

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↑石の道標(道しるべ)には、右:ほりの内・左:池上ミちと書かれていました。別の面には庚申供養塔も刻まれているようです。

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↑庚申塔には、青面金剛と三猿が刻まれています。

登ってきた鉄飛坂を降りて呑川緑道に戻り、先に進みます。あるいは、丘の稜線に沿って道を進み(道中には区の保存樹として指定される木や、道の中央に向けてややはみ出し気味の街路樹などがあります)、突き当たりの大岡山1丁目と2丁目の境のところで右に進むコースもオススメです。

やがて、緑道は切り通しのような場所を通ります。道の両側は緑が生い茂っており、どちらも学校施設(第十一中学校・東京工業大学)です。ここまでくれば、ゴールの緑が丘駅まではあと少し。
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↑東急目黒線の線路にぶつかり、緑道はここまで。
 呑川は線路を越えて先へと伸びています。緑が丘駅へは線路の手前の道を右に進み、道路に出たらさらに右側に行くとすぐです。

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↑線路脇の道を少し進み、後ろを振り返った地点。
 写真の奥が「大岡山駅」方面です。大岡山駅で合流した東急大井町線(高架の部分)と東急目黒線はここで分離してそれぞれの目的地へと進みます。

今回の散策はここまで。呑川はもう少し先で九品仏川と合流して大田区へと流れていきます。この日は緑が丘駅から少し足を伸ばして隣の世田谷区奥沢にある奥沢神社に向かったため、確認することができませんでしたが、また後日近くに立ち寄った際に確認してみたいと思います。

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2006年5月29日 (月)

散策~寺社編:桜森稲荷・帝釈堂(・呑川緑道)①~

昨日の日曜日、朝は曇っていたものの午後から少しお日様が出てきたので、雨天続きでなまった体をほぐすために東急東横線の都立大学駅に向かいました。

今回のお散歩コースは都立大学駅から呑川緑道を通り緑が丘まで。このコースは目黒区が発行している「みどりの散歩道」の呑川・自由が丘コースの冊子にも書かれているルートと同じです。その途中、やはり冊子に載っていて前から気になっていた「桜森稲荷」と「帝釈堂」も立ち寄りました。

都立大学駅の改札を出て右側(南側)に少し進むとと、すぐに呑川緑道にたどり着きます(呑川緑道までの距離はわずかですが、道幅が狭い上に人や車も多いため歩く際には気をつけて下さい)。

呑川緑道は、道路の中央に一段高い緑道が整備されており、緑道を挟む形で車道があります。先日紹介した立会川緑道と同じ形式ですが、こちらの方が道幅も広いです。駅前の一部は自転車置き場としても利用されています。また、緑道にはこれまた立会川緑道と同じく桜並木が整備されています。

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↑桜のシーズンの呑川緑道。

最初の訪問地は「桜森稲荷」。呑川緑道を歩き始めて最初の十字路を左に少し進んだところに石の鳥居と小さな祠が見えてきます。
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桜森稲荷は、平根というこの辺りの氏神様で、京都の伏見稲荷の流れを汲むと言われています。辺りには住宅や区民センターが立ち並び、少し窮屈な感じの境内で、桜森の面影はありませんが、むかしは一帯に桜の木が多かったようです。その代わりというわけではないでしょうが、祠の後ろには大ケヤキの木があり、区の保存樹に指定されています。

再び呑川緑道に戻り、先に進みます。
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↑道中には、呑川緑道の地図と当時の橋の名前が記載されています(今は橋はなく、銘盤なども残されていません)。

二つ目の訪問地は「帝釈堂」。呑川緑道を進み、平町二丁目と大岡山一丁目の境、中根小学校の手前の道を左に曲がります。
地図上の距離はそれ程長くなさそうと思ったのですが、、、甘かったです。目の前には結構な登り坂が。平町も町名のわりに結構坂道が多い印象でしたが、「帝釈堂」へ向かうこの坂はそれ以上のちょっとした登山の気分にさせてくれました。

ところで、この坂は「鉄飛坂」という名前が付いていて、衾(ふすま)村と呼ばれていたころの小字(こあざ)名が「鉄飛」だったためらしくそこから坂の名前が付けられたようです。「鉄飛」という言葉の由来は3つほどある。。。と説明が書かれた標識が坂の上にありました(坂を登って息が切れてそれどころじゃあなかったです。。。)。

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↑坂の上、帝釈堂の横から撮影。

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↑坂の案内標識です。

長くなってきましたので、「帝釈堂」から先はまた後日。

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2006年5月24日 (水)

碑文谷八幡宮①

昨日、一昨日と続き、三たび碑文谷近辺の寺社を紹介します。今回は円融寺の西南西に位置する碑文谷八幡宮です。

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創建の年代は良くわかっていないそうですが、古記には畠山重忠(1164-1205)の守護神をこの地にまつったのが起源とされています。旧碑文谷村の鎮守様で祭神は応神天皇だそうです。

社殿は江戸時代に建立され(戦国時代や室町時代からという話もあり、ちょっと調べきれませんでした)、明治になって改築が行われているそうです。また、円融寺を別当寺(神社の境内に寺院が置かれる様子)として境内に神宮院が置かれていた時期もあったと伝えられています。

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脇には碑文石と末社稲荷社が祭られています。碑文谷(ひもんや)という地名を見て、なぜこの呼び方になっているのかが気になっていましたが、いくつかある説の一つである「碑文石(=石碑や遺跡などに言葉が刻まれたもの)」がある谷(里)を指す石がここに祀られています。

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末社稲荷社には、前述の畠山重忠の臣、榛沢六郎成清をまつっているそうです。
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境内の手水舎(てみずや)の横には、古いポンプ式の井戸がありました。
まだ、水も出ます。ポンプに「SUN TIGER PUMP」と書かれていましたが、ブランド名?ネットで検索したら楽天の販売ページを見つけました。
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神社の前の参道にはソメイヨシノの木(樹齢が結構古そうな大木です)が植えられています。満開シーズンの写真はこちらの投稿をご覧下さい。

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2006年5月23日 (火)

散策~寺社編:鬼子母神堂・法界塚~

昨日紹介した「円融寺」の東側には洗足に抜ける南北の道があり、東急バス「円融寺前」バス停があります。その近くに、少し小高くなった敷地と年代を感じる小さなお堂があります。

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このお堂は「鬼子母神堂」で、1616年(江戸時代、初代将軍徳川家康が死去した年)にこの地に住む安藤藤八郎氏が十羅刹女、鬼子母神を勧請してお堂を創建したそうです。堂内にはその当時の板碑が残っているとのことです。

↓入口横にあった石碑。(鬼の字に一画足りないのは、お釈迦様の教えに改心し善神になった由来からだそうです)

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また、お堂の隣には小さな古墳のような塚があり、「法界塚」と呼ばれています。

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江戸時代は除地(税を免除された土地)となっていることから、かなり由緒のある古塚じゃないかという説や、古い記録に「ほっけ塚」と呼ばれているが、文書では「法解塚」と示すとか、円融寺の前身である法華寺に残される記録にも「天生十三年の文書にも「法界塚と書たれば別に故ありと見えたり」とのことから法華寺関係の仏教書物が地中に埋められた塚ではないかと考えられています。

他に境内には、いくつか石碑がが残されており、風化が進んでいるのもありますが、庚申塔や馬頭観音だそうです。

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2006年5月22日 (月)

散策~寺社編:経王山 円融寺~

目黒区にある文化財は、下目黒と碑文谷の近辺だけで約6割を占めるそうです。
今日は、碑文谷側の代表的な寺社である、円融寺を紹介します。

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この地に寺院が建てられたのは、平安時代にまで遡るそうです。元々は違う名前のお寺でしたが、途中、宗派が改められたり、江戸時代には幕府から厳しく弾圧されるなどを経て、現在は開山当初の天台宗に戻され、比叡山延暦寺に属しています。

円融寺には多くの文化財があります。特に、「釈迦堂」は、都区内で最も古い室町時代の木造建築として、国の重要文化財に指定されています。現在も優美な佇まいを見せるこの建物ですが、作者は飛騨の匠とまでしか伝えられていません。

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釈迦堂には面白いエピソードがあり、それは、昭和27年に屋根を銅版葺きに変えるなどの大修理が行われた際、屋根裏から1枚の木札(棟札)が見つかり、そこには名前や由来の代わりに「我手よし、人見よ」と書かれていたそうです。解体修理を担当する棟梁は、名前を明かさず仕事の出来を見よという言葉と、その言葉に偽りのない見事な出来に感動し、「その手よし、我は見たり」と木札を書き、それら2枚を再び屋根裏にしまったと言われています。次にこの釈迦堂を改修する人たちが再びこの2枚の木札を見つけたとき、きっと新たなエピソードが生まれるでしょう。

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↑区の指定文化財の「仁王門」。都の指定文化財の「木造金剛力士立像」が安置され、江戸時代には「碑文谷の黒仁王」とも呼ばれて親しまれていたそうです。

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↑認定文化財の「梵鐘」。

この日は参拝客以外にも、家族連れの方がお散歩に来ていたり、子どもたちが遊びまわっていたり。今も昔も地域の人たちに大切にされているお寺なのだと感じました。

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2006年5月19日 (金)

散策~寺社編:目黒不動(瀧泉寺)①~

久しぶりの更新です。なかなか投稿ができなくってすみません。

5月半ばなのに、もう梅雨に突入したかのような天気が毎日が続き、外を歩くのもためらってしまいがちですが、今日は思い切って目黒不動まで足を伸ばしてみました。

目黒不動の最寄りは東急目黒線の不動前駅です。そこから住宅地に沿ってしばらく進むと赤い仁王門が現れます。

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不動前から境内に入ると、景色は住宅街から一変し、広い境内と正面の小高い丘、そして、丘の上に向かって伸びる石段が表れます。正面には背の高い木々が覆い、石段の横には湧き水があふれるなど、都会の中とは思えません。
境内の多くの建物は戦災によって焼失され、戦後に再建された比較的新しい建物となりますが、境内はそれを思い起こさせない荘厳な雰囲気を漂わせています。

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石段を登ると大本堂が見えてきます。近代的な建物になっていますが、日本の方式も多く用いられていて、古きを守る姿勢が伺えます。境内にはまだまだ多くのお堂や石仏などがありますが、それらはまた別の機会で。。

大本堂の脇から奥に抜ける道があり、そのまま進むと目黒通りの大鳥神社の横にたどり着きます。

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2006年3月29日 (水)

第六天社の桜

中目黒GTにある、第六天社の桜も満開です。

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2006年3月28日 (火)

目黒川地蔵尊 現耀寺

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目黒区上目黒1-18に、目黒川地蔵尊がありました。
どうやらビルの2階が現耀寺 日蓮宗のようです。
目黒川沿いにあります。

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2006年3月19日 (日)

高木神社

高木神社は、円融寺や碑文谷八幡宮の近くにあります。立会川緑道をちょっと入った住宅地の中にひっそりとある神社です。目黒区教育委員会作成の案内板によると、創建年代は不明ですが、かなり古くからある神社のようです。

江戸時代に「碑文谷村」と呼ばれていた頃には、「第六天」と呼ばれ、子之神(ねのかみ)という集落の守護神として信仰されていたとか。

明治時代に入り、高木神社と名が付けられ、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)になっています。

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高木神社
目黒区南2-1-40 地図
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2006年3月16日 (木)

中目黒GT内 第六天社

第六天社

中目黒GT敷地内、目黒銀座沿いに「第六天社」はあります。中目黒駅前再開発(上目黒二丁目地区再開発)に伴い、工事中は中目黒八幡神社に安置されていましたが、平成14年にこの地に。

祭神は、天神六代の神である、面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)だそうです。

現在は、健康長寿、商売繁盛、家内安全の神として、地元の人々に厚く信仰されています。毎年、1月、5月、9月の例祭には、中目黒八幡神社の宮司による祭礼が行われています。

この社殿の部分は総檜造り。今はビルの谷間にひっそりと立つ社ですが、境内には花木も植えられ、特に梅の時期などはキレイな花が見られます。

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中目黒GTのHP  
地図(地図の場所より目黒銀座沿いです)
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目黒銀座観音 馬頭観音

目黒区内に馬頭観音は十数基あるとか。その中のひとつをご紹介します。

「目黒銀座観音 馬頭観音」

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目黒銀座観音 馬頭観音
目黒区上目黒2-14  地図

目黒区内馬頭観音関連記事→目黒区HP
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中目黒駅から中目黒GTの脇を抜けて、
目黒銀座に行き、割とすぐの右側にこのような提灯が見えます。
これが馬頭観音の目印。
裏からも行けますが、ちょっと分かりにくいので、
この道を入っていくのが分かりやすいと思います。

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この看板の説明によれば、大正時代の終わりごろ、乳牛牧場や馬力運送する業者がこのあたりに多かったことから、何名かが発起人となり牛馬の息災を護り、亡くなった動物の霊を弔うためにたてられたとか。

毎月9日を縁日と定め、この日はお参りに来る人もひときわ多いそう。現在ある社殿は、昭和10年にできたものであり、昭和31年に「目黒銀座観音」と称されることになったようです。

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2006年3月14日 (火)

目黒区内 お寺一覧

目黒不動尊 瀧泉寺 

目黒区下目黒3-20-26 

http://park6.wakwak.com/~megurofudou/  地図 

海福寺 

目黒区下目黒3-20-9  地図

蟠竜寺(ばんりゅうじ) 

目黒区下目黒3-4-4 目黒不動近く 地図

天恩山五百羅漢寺 

目黒区下目黒3-20-11 目黒不動近く 

http://www.rakan.or.jp/  地図

成就院 蛸薬師 

目黒区下目黒3-11-11 地図

松林山大円寺 

目黒区下目黒1-8-5 行人坂途中 地図

大聖院 

目黒区下目黒3-1-3 大鳥神社脇 地図

寿福寺 

目黒区上目黒5-16-6 地図

西照寺 

目黒区上目黒3-44-6 地図

現耀寺 

目黒区上目黒1-18-2 地図

長泉院 

目黒区中目黒4-12-19 現代彫刻美術館あり 地図

永隆寺 

目黒区中目黒5-7-21 長泉院すぐ近く 地図

実相寺 

目黒区中目黒5-7-13 長泉院目の前 地図

祐天寺 

目黒区中目黒5-24-53 地図

浄桂院 

目黒区中目黒5-24-48 祐天寺脇 地図

正覚寺 

目黒区中目黒3-1-6 

駒沢通り・山手通り交差点 地図

大教寺 

目黒区青葉台4-7-7 地図

聖徳寺 

目黒区駒場1-34-2 駒場東大前駅近く 地図

宗導寺 

目黒区目黒本町6-19-3 向原小近く 地図

妙見寺 

目黒区五本木2-28-17 五本木小近く 地図

金蔵院 

目黒区八雲2-4-26 地図

東光寺 

目黒区八雲1-9-11 地図

常円寺 

目黒区八雲1-2-10 地図

圓融寺 

目黒区碑文谷1-22-22 サレジオ教会近く 地図

正泉寺 

目黒区碑文谷1-8-14 圓融寺近く 地図

龍昌寺 

目黒区自由が丘2-15-13 地図

立源寺 

目黒区中根2-21-17 地図

掲載内容の最終確認は各自でお願いいたします。

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自由が丘 熊野神社例大祭

自由が丘にある熊野神社の例大祭。

毎年9月の第一日曜日に五穀豊穣を願って開かれるお祭りです。

神輿が練り歩き、熊野神社内では露店も出ます。奉納舞踊などの催しも行わる昔ながらのお祭りです。写真は2005年9月に撮影。

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自由が丘 熊野神社
東急東横線自由が丘駅(正面口)より徒歩約5分。
住所:目黒区自由が丘1-24-12
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