八雲の庚申塔
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大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」⇒「藤の庚申」。
前回の「藤の庚申」が置かれていた「なべころ坂緑地公園」を坂上に、目黒川(山の手通り)側の低地に向かう急坂を「なべころ坂」と呼ばれています。⇒google maps

↑画面左側に勾配を示す案内が出ています。15%と書かれており、結構な急坂です。
昔から鍋が転がるほどの急坂で、なべころ坂と呼ばれるようになった説と、道に粘土が露出した状態を、方言で「なべころ」といったことから、坂名になったともいわれています。
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大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」⇒「とちの木庚申」⇒「長泉院」⇒「実相寺」。
長泉院(現代彫刻美術館)の前の道を先に進むと、「なべころ坂緑地公園」が見えてきますが、公園の敷地の手前に二つの庚申塔が置かれています。⇒google maps

↑細い道ですが、昔は目黒不動方面と宿山方面を結ぶ幹線道路として往来の多い道だったそうです。突き当たりに見える緑が緑地公園です。

↑お堂には2基の庚申塔が置かれています。なんでも藤の大木がそばにあったことから「藤の庚申」と呼ばれていたそうです。今もお堂の後ろに小さな藤棚が置かれて当時を偲ばせます。

↑右側の小さな庚申塔は高さが56cmしかなく、区内でもっとも軽量級の庚申塔だそうです。
この辺りには庚申塔が多く置かれています。
江戸時代にこの辺りが庚申信仰が盛んで、幹線道路の道沿いには多くの庚申塔が作られ、さながら「庚申の道」だったとか。今は数も減っているのだと思いますが、数少ない江戸時代からの贈り物をこのまま大事に残してほしいと思います。
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大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」⇒「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」⇒「三等山 永隆寺」。
「三等山 永隆寺」の道(ばくろ(馬喰)坂)の坂上方面に進むと。五差路に差し掛かります。ここは元自然園があった辺りで、近くのバス停も「自然園下」と付けられています⇒google maps
その交差点の傍らに「谷戸前川緑道」と暗渠化された緑道(歩道)が伸び、ちょうど入口となる部分にひっそりと庚申塔が一基置かれています。

↑緑道の入口、とちの木の根元にあることから「とちの木庚申」と呼ばれているそうです。
案内板なども置かれておらず、大きさも石標ぐらいなのでよーく注意しないと見逃してしまいそうです。

↑写真を拡大すると、かろうじて庚申の二文字が読み取れます。
(他に中目黒村田道とも書かれているそうです)
谷戸前川の中から発掘されてこの場所に移動されたそうですが、風化が激しく文字もなんとか読める程度です。今は庚申の文字が読めますが、これ以上風化しないように残ってほしいと思います。
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少し間があいてしまいましたが、大鳥神社⇒中目黒への散策の続きを紹介します。
これまでの記事 「十七が坂庚申塔」。
「十七が坂」の坂を登ると、北の方角に進む道が伸びています。おおざっぱな表現ですが、まるで山の稜線に沿って歩いているかのような感覚です。そのまましばらく進むと、左側にお墓が見えてきて交差点にぶつかります。⇒Google maps
この交差点の墓に面した場所に置かれているのが、今回紹介する「ばくろ(馬喰)坂上庚申塔」です。

↑交差点を渡り、後ろに振り向いて撮った写真です。縦に伸びる道が今歩いてきた「十七が坂」からの道となります。手前の案内板かカーブミラーと位置を比べてみればわかると思いますが、結構高い場所に4基置かれています。

↑近づいて撮影。見上げるようにして撮っています。青面金剛や三猿が刻まれています。

↑ばくろ(馬喰)坂上庚申塔に関する案内板です。いずれも江戸時代(1600年代後半~1700年代前半)に作成されたようです。

↑交差点の右側(3つ上の写真は後方に撮影しているので左側)がカーブを交えた急な下り坂になり、下った先は山手通り・目黒川方面となります。この坂を「ばくろ(馬喰)坂」と呼んでいます。

↑ばくろ(馬喰)坂の案内板。坂の名前がギョっとしますが、漢字は当て字で、本来の意味は風雨にさられて地面に穴のあいた状態を「ばくろ」と目黒の古い方言われていた事らしいです。
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このブログでおなじみになってきた庚申塔ですが、先日の大鳥神社の祭りに行ったその足で、中目黒駅方面に向かって散策をしてきました。ネタを仕入れてきましたので順次ご紹介していきます。
(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)
最初に紹介するのは「十七が坂庚申塔」。
名前の通り「十七が坂」という名前の坂を登った墓地の入口にあります。⇒Google maps

↑十七が坂の下から撮影。このあたりは目黒川の低地に向けて急な坂になっています。目指す庚申塔は坂の上。
この日は30度を超える残暑で、坂を一歩登るたびに額から汗がにじみました。

↑ありました。坂を登った所にある墓地の入口に2基。左側のは板に庚申塔の文字が書かれたもの。右は宝きょう印塔型(供養塔に近い形です)のものです。

↑この庚申塔は高さが 2m 近くある立派なもので、区内最古の物とも言われています。

↑庚申塔の横にはお地蔵さんらしき石造物が。こちらは風化が激しくとりあえず形をとどめるのみです。
目黒区教育委員会の案内板がありましたが、これが鉄柵のすぐ後ろに設置されていたので、一枚の写真で撮ることができませんでした。なので、今回は案内板の内容を引用いたします。
以下、「目黒区教育委員会の案内板」より引用
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十七が坂上の庚申塔 目黒3-3
江戸時代の農村では庚申信仰がさかんで各集落に講
があり、その寄進で庚申塔が建立されました。
庚申塔には、青面金剛や三猿、年号、建立者名などが
刻まれていて、村の歴史や人々の生活などを知るための
貴重な資料です。
この庚申塔は前の十七が坂上にあるので「十七が坂
上庚申塔」と呼んでいます。
墓地の中でひと際目立ち、高さ2メートル余りもある
宝きょう印塔型の庚申塔は、寛永3年(1626)に建立さ
れたもので都内でも古いもので菅沼一族8名の名があ
ります。また、この塔の前の板碑型庚申塔には
明暦3年(1657)の年号と、その下に7人の建立者名が
刻まれています。その筆頭者に「権之助」の名前が見ら
れます。
「権之助坂」の名のおこりになった菅沼権之助ではな
いかと言われています。
目黒区教育委員会
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

↑おまけ、坂の由来が書かれています。いくつか説があるようです。若者が元気に坂を登る。。。若者ですか、、、坂を登って精根尽きかけている自分って、、、ガクッ。
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先日紹介した守屋図書館の敷地に沿って東急東横線側を裏手にまわったところに「五本木庚申塔」があります。
(写真をクリックすると別ページに移動して拡大表示されます。戻るときはブラウザの[戻る]を選択下さい)

↑小さなお堂の中に庚申塔(内一基は地蔵尊)が並べて置かれています。お堂は道路から少し高い場所に位置し、傍らの木や左手の鳥居は、まるで郊外の一風景を切り取ったかのようです。
背景に見える建物が守屋図書館(裏側)。左手の鳥居には「目黒護国神社」と書かれていました。

↑上の写真のアップ。どれも結構な大きさです。一番右側はお地蔵さんで、左の四つが庚申塔です。どれも江戸時代からの物らしいですが、どれも状態が良く、三猿や青面金剛の姿が今でもくっきりと残っています。

↑目黒区教育委員会の案内板が設置されています。
堂内の庚申塔四基と地蔵尊一基、堂前右手の念仏塔一基(最初の写真にお堂の右側に写っています)。そして、堂外左後方にもう一基庚申塔?。。。見逃していました。次回に行ったときにまた確認してみます。
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目黒郵便局から武蔵小山へ通じる道を南下した先の交差点に「清水庚申塔」が置かれています。

↑コンビニエンスストアの敷地の端にお堂が置かれています。そのそばに切支丹灯篭も置かれていました。
目黒教育委員会発行の「めぐろの文化財」の情報では、この庚申塔は道しるべも兼ねられており、庚申塔の左右側面に刻まれているそうです(←今回は見逃してしまいました)。

↑東急バスのバス停の名前にも使われています。庚申信仰が盛んだった頃のなごりなのでしょうか?
場所はこの地図の中央辺り⇒Google maps
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円融寺東門と碑小学校の間に小さな屋根がつけられた庚申塔が置かれています。
目黒教育委員会発行の「めぐろの文化財」の情報では、この庚申塔は昭和31年に再建された物で、もともとは横の円融寺東門の前に置かれていたそうです。
明治以降の都市化・近代化の流れで庚申信仰も大きく変わった中、庚申塔の再建が行われたのは貴重な事なのかもしれません。
場所はこの地図の中央辺り⇒Google maps
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目黒川に架かる日の出橋です。橋の欄干に架かる図柄は文字通り「日の出」を表しています。
橋の色は赤でキレイな橋だったはずなのですが、残念ながらイタズラ書きが多くて現在は無残な姿になってしまいました。

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目黒川に架かる常盤橋は、まもなく国道246号線に出るという場所にあります。そのすぐ近くに水車がありますのでご紹介します。
昔はこの辺りにもたくさんの水車があったことから、平成2年にこの地に復元されました。とは言っても、かなりのミニチュアで残念ながら水も流れていないので、水車の模型という感じではありますが、当時を偲ばせるものではあります。

ちなみに、この復元水車のすぐ脇にある大きな゛しだれ桜"の花が見頃の時期には、とても風情ある景色になります。下の写真は今年の春撮影したものです。
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目黒川 日の出橋近くに、「目黒区みどりの散歩道」の看板がありました。今はかなり水量も少ない目黒川ですが、昔は大変な暴れ川だったようです。

目黒区内には大きく分けて目黒川水系、立会川水系、呑川水系の3つがありますが、そのいずれもが東京湾へと流れている川です。今はほとんどが暗渠となり緑道化されてしまったので、水面を眺めることができるのは、目黒川と呑川の一部分だけとなっています。
目黒川の上流は、世田谷区三宿で北沢川と烏山川に分かれています。目黒区内は山手通りとほぼ平行に約4キロ流れ、品川区へと続いています。
かつては染物屋が目黒川で友禅流しをしている光景も見られたそうですが、その姿も昭和30年ごろには姿を消しました。
現在、目黒川の川岸には、桜の木が植えられています。
平成6年に、船入場には調整池を作り、大雨で川の水量が増えたときに使われます。この地には「川の資料館」もあります。
目黒川には多くの支流があります。蛇崩川、空川、谷戸前川、羅漢寺川などです。
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池尻大橋の近くにて、「大橋ジャンクション」を建設中です。とは言っても、形が見えてくるのはまだまだ先のようですが現在はこんな感じです。
大橋ジャンクションとは、国道246号線の上を通過している高速3号渋谷線と、中央環状新宿線・中央環状品川線を接続するものです。ループ状に作られたジャンクション内には大橋換気所(仮称)が設置されます。この辺り一帯が、大橋地区再開発事業として工事が進められています。再開発ビルには、住宅を中心に、店舗・事務所・公益施設などにも利用される計画です。
大橋ジャンクション詳しくは・・・こちら

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「さわら庚申」に付いて昨日書きましたが、それと同じ場所にある道標についてふれたいと思います。
↑一番左に見えるお堂の中に庚申塔3基があります。写真中央下のほうにあるのが道標。
↑道標を見てみると、なにやら字がうっすらと見えます。
設置されていた案内板によると、正面には“おく沢、ひもんや、いけかみ 道”、左面には“右 あさふ、あを山 道”、右面には“右 ごほん木 、ふたご 道”と書いてあるようです。おそらく1800年代に建立されたものではないかと書いてありました。
これに書かれた地名は今とそんなに変わりはないようですね。ちょっとずつ読み方や書き方が違うのですが、言いたいことは分かります(笑)。
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駒沢通り沿いにある「さわら庚申」をご紹介します。住所で言うと目黒区中町2-38にあります。近くに“さわらの木”があったことから、この名が付きました。

↑木製の堂社にもかわいらしい三猿が彫られており、とても立派な堂になっています。
↑この庚申脇に置かれている目黒区教育委員会作成による案内板
↑中の庚申をアップで見るとこんな感じです。一番右側は提灯で隠れてしまいましたが、堂の中には3基の庚申塔があります。

↑堂を裏から見るとこういう風になっています。
同じ場所にある道標(道しるべ)については、また明日。
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昨日に紹介した「田道庚申塔」の近く、右方面(区民センターの北側で、目黒川にかかる田道橋の西脇の交差点)にもう一つ、庚申塔が置かれています。
Y字に分岐する交差点の中心にマンションが建っていますが、その前の小さな赤いお堂が目印です。
↑写真にも見える石碑なようなものが庚申塔です。
↑風化が進み、石柱の台座部分にかろうじて三猿の痕跡がみられます。(見えにくいですが、台座にシミのような線が入っている部分です)。
ここも田道庚申塔と同じく地域の人たちによって管理しているのでしょうか。真新しい「柊(ひいらぎ)庚申」の赤いちょうちんと、新しい花が添えられていました。
↑石柱の表面も写真では殆ど見えませんが、肉眼ではうっすらと「庚申塔」の文字があります。
また、もともとは道標を兼ねていたそうで、石柱の両脇にはゆうてんじ道やふどう道の文字が刻まれているそうです(自分もその時は見損ねてしまいました)。
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目黒駅から目黒川に進み、そこから川に沿って少し北上すると、「区民センター」が見えてきます。区民センターの敷地を沿って西側(目黒区美術館方面)に向かうと、道路がカーブしているところに「田道庚申塔」が見えてきます ⇒ google maps。
↑この写真は「目黒区美術館」側から北向きに撮った写真です。
↑全部で7基置かれていますが、一番右はお地蔵さんで、残る6基が庚申塔です。
↑案内板や「田道庚申」と書かれた目新しい提灯がぶらさがっています。これら石造物はいずれも江戸時代のものらしいですが、現在も地域の人たちに大事に管理されています。
↑左から1番目・2番目・3番目の庚申塔
↑左から3番目(上の写真の一番右のものと同じです)・4番目・5番目の庚申塔
↑左から5番目(上の写真の一番右のものと同じです)・6番目の庚申塔とお地蔵様。
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以前、立会川の緑道から源流の一つの碑文谷池までの沿線を紹介しました。今日はもう一つの源流である清水池から立会川までの沿線を紹介します。
前と同じく目黒区が発行している「みどりの散歩道」の碑文谷・立会川コースの冊子に書かれている今は存在しない橋の名前をたどっていきたいと思います。
↑立会川の源流の一つ、清水池がある清水(池)公園。
↑池のようす。今回は清水池から立会川に向かいます。
(※ 下記の文中の橋の名前は、「みどりの散歩道」の冊子の地図の記載を参考にしています。現地に橋の跡や銘盤などはありません)
↑清水池から、立会川に向かって南下します。この写真は目黒通りから清水(池)公園の横をとおり、さらに南下する道です。調べた限りでは、実際の川の流れは、通りに並行した路地の中に通って、この先のカーブで合流しているようです。
この間、「池前橋」・「かえで橋」・「たちばな橋」と下水路のような小さな流れが昔はあったようです。今時、都会の路地も珍しいのですが、路地の多くはそこに住んでいる方たちの生活空間なので、迷惑をかけないようこのまま通りを直進しました。
↑谷向橋付近。
道が大きく半円を描くようなカーブになっています。この辺りで川が合流しているようですが、その痕跡を見ることはできません。カーブの先はバス道と合流します。
↑法界塚橋付近。
バス道と合流した交差点には、以前紹介した鬼子母神堂・法界塚があります。交差点を右に(南に)進みます。片側1車線の道路の片方だけに歩道があり、どうやら川の流れはこの下のようです。
この先には「国宝円融寺前」のバス停があります。
↑一の橋、二ノ橋付近。
「国宝円融寺前」のバス停を過ぎ、バス道をさらに直進するとまもなく「立会川緑道」に交差しますが、川の流れはその手前の路地で左折し、立会川と並行する形で流れたいます。
1車線の狭い道路になぜかある歩道も、その下に川の流れがあると分かれば納得です。
↑三ノ橋、金杉橋、付近。
右手に学校が見えてきます。立会川に並行する形の流れも、学校に沿って右にカーブし、立会川に近づきます。
↑終点、雪見橋付近。
立会川との合流地点です。立会川の本流もこの合流点から南に向きに変え、東急目黒線「西小山駅」の脇を通り品川区へと入っていきます。
↑立会川緑道も東急目黒線「西小山駅」手前で終わります。駅の先、品川区では「立会道路」として続き、「旗の台」・「大井町」を経て京急線「立会川」駅の手前で川の姿をあらわし、東京湾に流れます。
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昨日に引き続き、立会川を紹介します。
昨日の続き、田向公園の中を進み、反対側に差し掛かったところから
(※ 下記の文中の橋の名前は、「みどりの散歩道」の冊子の地図の記載を参考にしています。現地に橋の跡や銘盤などはありません)
↑田向公園の入口まで進みました。
車道と歩道が見え、正面のビルを挟んで車道は右へ、歩道は左へ曲がっています。歩道には車の進入を拒む柵がされているため、この歩道の下が川であると推測できます。
↑あやめ橋付近。
歩道に沿ってビルの左へ進みました。まもなく目黒通りです。
↑目黒通りとの交差
目黒通りにたどり着きました。通りを挟んだ反対側にやはり桜並木が見えます。
目黒通りは交通量が非常に多く、どの車もそこそこスピードを上げて走ってきます。むやみに車道に出ないようにしましょう。横断歩道は少し離れた所にありますのでそちらを渡ります。
↑青葉橋付近
目黒通りを渡った反対側です。桜並木が再び表れ、通りの左側に歩道と共に続きます。歩道にはブロックが敷かれ、一見して車道との違いが判ります。
一車線しか無い道路にわざわざ歩道がなぜあるの?という疑問も、その下に川の流れがあるんだと思えば確かに納得がいきます。
↑車道に再び現れたフタ。これも川の流れと関係があるかはわかりません。が、整備等のために、地下に流れる川へのアプローチとして入口が用意されているのかもしれません。
↑田向橋付近
源流である碑文谷公園へのこのまま真っ直ぐ進み、東急東横線の手前で右に折れるようです。桜並木が続きますが、さっきまでと違う種類です。「みどりの散歩道」の冊子の地図にも「ヤマザクラの並木」と記載されていますので、その種類なのでしょう。写真は↓こちら。
↑殿山橋付近
直進し、東急東横線の高架が近づいてきました。碑文谷公園へは奥の高架まで行かないで一つ手前のこの交差点で右に曲がると近道です。川の流れもここで右に曲がっているためか、先には歩道が無くなっています。
↓右に曲がると二車線の道路の左側に歩道があります。この歩道はここから碑文谷公園の手前までしか無いため、歩道の下に川の流れがあると思います。奥に見える高架橋をくぐった右手が碑文谷公園です。
↑池の下橋付近
直進し、このまま碑文谷公園にたどりつくと思ったら、あらら歩道が左に曲がっています。歩道はそのまま東横線の高架をくぐる形になっていました。
↑西の前橋付近
東横線の高架をくぐって今来たところを振り返ったとき、足元にコンクリートの土台らしきものがあるのに気づきました。よく見ると反対側にも同じ土台があるようです。
その時には、なんだろう?ってとりあえず写真を撮っておきましたが、歩道を挟むように設置されたコンクリートの土台と二つの窪み、そして真上に走る東横線と考えたとき、もしかして、東横線が高架化される前の地上を走っていた頃、川をまたぐ橋の土台だったんじゃないか?っておもいました。詳しいことは分からないのですが、1960年頃に高架工事が行われていたようなので、川も暗渠化されていなかったのかもしれません。
↑公園橋付近
源流の碑文谷池がある碑文谷公園にたどり着きました。
2回に渡った連載もここまで。ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
目黒区を流れる川はその多くが暗渠化されて、川の姿を見せるのは目黒川などの一部に限られています(目黒川も池尻から上流は暗渠化されています)。東京は多摩川・荒川など大きな川がある一方、昔は街の至る所に小川や用水なども多くあったそうです。
人が生きるためには欠かせない水は、これら川を利用する人や魚、鳥や動物などにも貴重な資源であったはずですが、いつしか公害の原因となってしまい、沿線の人たちを悩ませる存在になり、そして、それらはコンクリートによってふさがれてしまいました。
今回はたまたま地図に残された橋の名前を見つけることができました。でも、いつしか地図からそれら名前が消え、沿線の人たちの生活の中からも忘れ去られていくのだとしたら、それは少し寂しい事だと思います。それは時間の問題でしょうか?それとも、また、新しい展開を迎えるのでしょうか。
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折角の週末なのに、今日も雨ですね。そして寒い。。
昨日、九州南部が梅雨入りしたニュースが流れていましたが、東京もゴールデンウィーク明けからずっと雨の日ばかりなので、とっくに梅雨入りした気分。
今日は外に出歩く気もなく、最近撮りためした写真の整理で一日が終わってしまいました。今日のネタを探していたのですが、昨日、立会川を紹介したのでその続きとして立会川の緑道から源流の一つの碑文谷池までの沿線を紹介したいと思います。
立会川は昔は魚が多くいた綺麗な小川だったようです。しかし、沿道の宅地化と共に人家が増え、下水として利用されるようになってからは水の汚濁や悪臭が問題となり、昭和44年からの工事で下流の一部を除き暗渠化して、地上には桜並木を植えたそうです。
目黒区が発行している「みどりの散歩道」の碑文谷・立会川コースの冊子に書かれている地図には、碑文谷公園から「碑文谷橋・公園橋・西の前橋……山吹橋・すみれ橋」と、今は存在しない橋の名前が書かれています。この地図から円融寺の脇に沿って立会川に流れ込んでいると考え、円融寺の南側の入口に来ました。
折りしも桜が開花しているシーズン。門の左手を見ると、満開迫るサクラの花が枝全体を淡い春の色に染めています。
桜の木の幹周りは、立会川の緑道に植えられている木と同じくらいの太さです。恐らくほとんど変わらない時期に暗渠化されていると思いますので、この辺りで立会川へ合流していたんだと思います。
じゃあ、この道に沿って、いざ、碑文谷公園へ。
(※ 下記の文中の橋の名前は、「みどりの散歩道」の冊子の地図の記載を参考にしています。現地に橋の跡や銘盤などはありません)
↑「すみれ橋」付近。
桜並木は道路左側に移り、田向公園に向かって進んでいます。
↑「山吹橋」付近。
サレジオ教会の裏側を沿って流れていたようです。
↑「寺西橋」付近で、バス道にぶつかります。この交差点辺りから田向公園までは道の両側に桜の木が植えられています。
(バス道は、通称道路名を「碑さくら通り」といい、その名前の通り道の両側に桜の木が植え、満開の時にはサクラがアーチのように通りをおおいます。この交差点を右に行けばもう一つの源流である清水(池)公園。左側はサレジオ教会・すずめのお宿緑地公園です。)
↑「さつき橋」。
桜並木が両側に続きます。左側の車線には長方形のフタが敷かれています。川と関係があるのでしょうか?
↓近づいて撮ってみました。中央には”水”と似たマークが書かれていました。
↑「白梅橋」付近。
左手に田向公園があらわれ、桜並木はここで終わります。通りは続いており、目前には目黒通りがせまっていますが川の流れと思われる痕跡はありません。どうやら田向公園に沿って通りから離れるようです。
↑田向公園の中を進み、反対側に差し掛かったところ。
目の前には公園の入口があり、車の進入を拒む柵があります。奥にも同じような柵が見えます。公園の木と、その奥のトイレ・電柱の位置を見ると、この下に川の流れがあるように思えます。
一回に収まらなくなってしまったので、今回はここまで。続きはまた明日書きます。
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お寺や神社の紹介が続いてしまったので、今回はちょっと内容を変えて立会川を紹介します。
品川区の京急線に立会川駅もありますが、その川の起点は目黒区です。
水源は先日紹介した清水池・碑文谷池で、昨日紹介した碑文谷八幡宮の入口辺りから立会川として区内を東に流れ、東急目黒線西小山駅辺りで品川区に入り、旗の台・荏原町・大井町を経由して東京湾へと流れる川となります。しかし、川の殆どは暗渠(川の流れを地下に移し、コンクリートなどで蓋をされて覆われてしまった状態)となり、川の姿を見ることができるのは東京湾に近い下流の一部のみとなっています。
暗渠となった川の上は、緑道や散歩道、歩道として整備されるのが一般的ですが、立会川は、起点の碑文谷八幡宮の入口から西小山駅手前までは、道路の中央を一段高い緑道として桜の木が植えられており、道中にベンチを設置するなどの整備がされています。
また、この区間では、元々橋があった場所の石柱に橋の名前が刻まれた銘板が埋め込まれており、当時の川の痕跡を見ることができます。
この緑道は、目黒区のみどりの散歩道にも指定され、緑道内には、案内板と当時の川の様子が説明されています。この緑道に歩いてくれば、円融寺も碑文谷八幡宮もすぐ近くですので、碑文谷散策の際のルートとしてオススメです。
緑道の終点である西小山駅付近。この先は、立会道路となり、狭い車道と歩道の道となり品川区を南下します。
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目黒通りと環七(環状七号線)が交わる交差点にかかる陸橋が柿ノ木坂陸橋です。桁下4.5メートル。下の写真をご覧いただきたいのですが、この絵?は柿をイメージしたものですかね?

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柿ノ木坂陸橋 地図
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